沿革

昭和25年頃 八尾市在住の弓道愛好者は、大阪市内の個人道場に通っておられた。
昭和28年3月

弓を引く場所を探しておられた(故)西川会長が市に相談。
現市役所第二別館(当時の八尾税務署)裏の空き地が初の練習場所(仮設道場)となる。
これが八尾市民弓道の始まりである。

だが、半年の間に道場を明け渡すこととなり、府立八尾高校の東隣り、会社の敷地と場所を転々とする。

昭和29年春 市助役(熊又氏)の力添えにより、市立八尾小学校の校庭を借用し、弓道愛好者の発会式典(祝射、装束の大的式の儀式)を行う。
昭和30年4月1日 八尾市体育連盟設立と同時に、正式名称を八尾市弓道協会とし、体育連盟に加盟する。
大阪府弓道連盟に加盟する。
昭和31年3月25日 第1回市民大会を市立八尾小学校を借り開催する。
午前に大的、午後に仮設の安土を作り近的を行う。
昭和32年7月 久宝寺2丁目の現・コカコーラ八尾営業所の北東に八尾市弓道場が完成する。
協会員による内輪の射会を行う。
昭和32年11月23日

当道場の祝賀射会に大阪府弓道連盟の諸先生方・各クラブ・弓友会の多数の参加を頂いた。

(故)牧瀬先生の四方拝・天地披の儀式、西川先生の矢渡し、来賓先生方の祝射、午後は競射会と盛大な八尾市弓道場の道場披きであった。
府連諸先生方、来賓先生方、協会員一同にて万歳三唱のうえ散会する。
この道場披き以降、春季・秋季の年2回の市民弓道大会が恒例行事となる。

昭和33年春 八尾市役所弓道部が設立され、井上氏を中心に弓道場にて練習し、大阪府実業団射会に参加。
上位入賞され大いに活躍された。
昭和39年 第19回新潟国体の国体選手として協会員が選出される。
第一回八尾市長杯争奪郡市対抗親善弓道大会を開催。
大阪府弓道愛好者の多数の参加を頂き終始なごやかな射会となる。
八尾市弓道協会の全盛期となる。
昭和40年 第20回岐阜国体の国体選手として協会員が選出される。
昭和48年 八尾市弓道場が廃止となる。
昭和49年1月 栄町1-16に(財)八尾体育会館が完成し、弓道場が移転する。
新規まき直し練習の場としての喜びがある。
昭和49年8月15日 (財)八尾体育会館落成完成記念式典行事が行われる。
各関係団体の盛大な式典の中、弓道場に於いて、八尾市弓道協会・西川会長の矢渡し、一つ的射礼、持的射礼と多彩な落成記念行事が催された。
昭和49年10月20日 八尾市弓道協会の道場披きが、近畿2府4県の諸先生方、愛弓者多数の参加を頂き盛大に開催された。
昭和54年 大阪府総合体育大会に参加。
昭和55年 第34回総合体育大会にて、八尾市弓道協会が団体優勝する。
平成元年 第44回北海道国体の国体選手として協会員が選出される。
平成4年 国体選手として若手の協会員が選出される。
第47回山形国体において大阪府代表として遠的近的の総合優勝に貢献した。
平成5年~7年 3年間、国体男子の部で入賞・ベスト16に入る。
平成8年 第51回広島国体に協会員2名が出場し、遠的近的の総合優勝する。
平成9年

第52回大阪国体で協会員が入賞をはたす。

全日本弓道遠的選手権大会で協会員が第5位に入賞。

平成9年9月 青山町3-5-24に八尾市総合体育館「ウイング」が完成し、弓道場が移転する。
盛大な披露祝射会を行う。
大阪府代表として国体・全日本弓道選手権大会・全日本弓道遠的選手権大会への出場や府下の試合等での活躍、また、上部団体への貢献。
近年、協会員の活動・活躍は目覚ましいものがある。
平成10年

協会員から初の女性国体選手が出る。

第53回神奈川国体では、男女の入賞と協会員の活躍が光る。

平成11年 全日本女子弓道選手権大会・全日本遠的弓道選手権大会に出場。
平成17年 八尾市弓道協会50周年・八尾市体育連盟50周年記念を迎える。
平成27年10月12日 八尾市弓道協会創立60周年記念の祝射会を行う。